ありのまま
服つくりのきっかけ
昔のはなしです。
今につながるむかしのはなしです。
洋服を作りたいと最初に強く思ったきっかけは
背が高かった妹の洋服が田舎に売っていなかったことにありました。
お店に行っても
『私の着れる洋服が売っていない』
『ない』 という言葉が
私のあたまの中に残り、何かできないかな、という想いからの一歩でした。
本を買って調べ始める
当時、様々な服つくりの雑誌がありました。
本を読んでみても、妹の要望に応えるには私の応用力が足りない気がしました..
それでも、着られそうなものを作ってお誕生日に渡してみました。
その時の 『わたしでも着れる!!』
という笑顔が、純粋に嬉しかった~
妹の言葉に『着れる服がない』 から
『着れる服がある』 に変化した瞬間。
この瞬間が一番嬉しいことだったと感じます。
こころの枷をとる手段
妹の発する言葉が、否定語から肯定語に変わった瞬間。
妹から感じていた不足感が拭えただろう瞬間。
妹のこころのつっかえが取れたように感じた瞬間。
服を作ることで、人の役に立てるんだという悦び。
作ったものが人の心の枷をとる手段になるということ。
それが一番の発見でもありました。
服を作ることとは、ファッションとかトレンドとかそういう観点というよりも
その方の悩み事や潜在的な問題点が解決できることが大切と感じているのは
服つくりの出発点が、妹へのプレゼントだったことにあると思っています。
骨格をみる
妹は背が高くすらっとしているけれど、骨格はきちんとあって
どのようにパターン展開すればいいのかわからなかったため、上京したいと思いました。
その時に驚いたのは、妹に比べれば、着れる服は沢山あって標準的だと思われていた
わたし自身の寸法が、いわゆる標準と言われる寸法比率とはかけ離れていたことでした。
学校の授業では、自分の寸法が意表を突いた数字にみえました。
これが、会社に入ってたまたま配属されたマダムサイズでパターンを引くことになったときに解明しました。
マダムサイズの寸法比率とぴったりの比率だったのです。
笑ってしまいました。
そして、会社の所属先では、学校で習っていた展開とは違うパターン展開を学ぶことになります。
もちろん、すべての方に合うわけではありませんが
20代の頃に開催していた展示会のお客様の層が
20代~60代くらいと巾が広かったのはそのおかげかもしれないと思っています。
普通の服なのに、なぜ、客層巾が広いの??とお店の方から不思議がられることもありました。
ありのまま受け入れる
標準比率からかけ離れた寸法の私に似合う服はあるのだろうか。
上京してからは、もしかしたら妹よりも
自分に合う服が少ないかもしれないと思うようになりました。
パッと見は、ごくごく普通なのに…
マダムサイズのパタンナーとして会社で学べることは学んでおこう。
そして自分専用のパターンをたくさん作っておこう。
そう気を取り直して、自分のためのパターンを作るようになりました。
ファッションというよりも、骨格と比率を見つめる作業が好きでした。
自分の寸法をありのまま受け入れること。
そんな作業に没頭できる時間が至福のひとときでもありました。
大切にしたいことは、つくることが、心の枷をとるものであること。
知らず知らず、作り手も、着る側も、リラックスできるものであること。
言語化するのであれば、そんなことを考えながらの作業が好きだったんだなと感じています。